林 教雄 氏(昭和42年卒)
松浪 健四郎 氏(昭和40年卒)
岡村 親一郎 氏(昭和26年卒)


林 教雄 氏(昭和42年卒)

S43  佐野高校卒業  同年 西濃運輸入社
S62  西濃運輸監督就任(1期目)
H5   西濃運輸監督就任(2期目)
H6   第65回都市対抗準優勝
H8   第23回社会人日本選手権準優勝
H17  西濃運輸監督就任(3期目)
H24  西濃運輸監督就任(4期目)
H26  第85回都市対抗優勝
R元  西濃運輸監督就任(5期目) 現在に至る
2014年には監督復帰4度目にして悲願の都市対抗初優勝を果たした。
初代監督から受け継いだ読書習慣から選手には「組織作りは人作り」の信条を説く。
2019年9月、またもチームの窮状を救うべく5度目の監督復帰となった。


松浪 健四郎 氏(昭和40年卒)

昭和40年卒業 、同年日本体育大学体育学部武道学科(第一期生)に入学する。
大学でレスリングを始める。メキシコシティオリンピックのレスリング種目の候補選手に選出されたが、その後、日本体育大学を休学し、S42年東ミシガン大学に留学した。日本体育大学に復学後、S45年に卒業する。
S50年、国際交流基金の支援により、アフガニスタンのカーブル大学にレスリングおよび体育の指導者として派遣される。3年間にわたり、レスリングの指導とスポーツ文化の研究を行った。 帰国後のS54年、専修大学社会体育研究所に専任講師として採用される。大学ではレスリングの指導にあたり。
S63年から専修大学教授を務める。
新進党の公募を経て立候補、H8年に衆議院議員に初当選する
その後 H17年第44回衆議院議員総選挙に自民党の公認として当選し、自民党副幹事長を務めた。
H19年、文部科学副大臣に任命される。
H20年8月から、自民党外交部会長に就任
H23年、学校法人日本体育大学理事長に就任。
H28年(勲2等)旭日重光章を受章。


岡村 親一郎 氏(昭和26年卒)

昭和23年高校学制改革に伴い岸和田中学校より佐野高等学校へ移管入学
昭和26年佐野高校 を第1期生として卒業
大阪歯科大学を卒業し
泉佐野市で歯科医を開業
佐野高校の学校歯科校医として昭和35年から平成25年3月までの52年の間、母校生徒の口腔衛生に尽くされる。
その間大阪府歯科校医の副会長を歴任し平成16年に(勲5等) 瑞宝双光章を受賞
令和元年 ご逝去